日本の暦

各月の別名

本来は旧暦による月の別名であるため、そのまま新暦に適用すると季節感が合わなくなる(例えば、6月は梅雨の真っ只中であるにもかかわらず「水が無い月」)。十二月の別名「師走」は、年末の慌ただしい様子を表す月名として、現在でもよく使われている。

二十四節気、雑節

詳しくは二十四節気を参照。

中元を除いて、日付は年により前後する。

節句

暦の節目は節句となっている。

六曜(六輝)

日本の暦の歴史

前記の和暦に基づき以下の暦(暦書・暦表)が使われてきた。暦の作成配布は日本に限らず、古代より統治者(朝廷幕府)によって取締られてきた事項であり[2]、明治に至っては神宮暦に一本化された。暦の決定は国家が法で行うが、カレンダーは(それに従って)自由に作ってよい、と明確に分離され自由になったのは、戦後の1946年である。

  • 具注暦(ぐちゅうれき)
    • 元嘉暦を基に作られた暦である。飛鳥時代の木簡に具注暦を記したものが見つかっている。奈良時代には朝廷陰陽寮が作成し頒布していた。)鎌倉時代に具注暦を仮名表記にした仮名暦(かなごよみ)が現れた。
  • 京暦(きょうごよみ)
    • 始まりは鎌倉時代と推定されている。15世紀中頃には摺暦座(すりごよみざ)が専売権を持っていた。
    • 1657年には朝廷御用達で全国の暦師の監督権を持っていた大経師(だいきょうじ)が大経師暦を発行していた[3]
  • 三島暦(みしまごよみ)
    • 奈良時代(8世紀後半)から続くと言われている[4]。この三島暦を作ったのは奈良から三島宿へ移ってきた暦師河合家であった。江戸時代初期には幕府の公式の暦となり、関東・東海地方で広く使われていた。河合家は平成に入り50代続いた暦師を廃業した[5]
  • 大宮暦(おおみやごよみ)
    • 戦国時代に武蔵国大宮の氷川神社で作成された仮名暦。
  • 丹生暦(にゅうこよみ)
  • 伊勢暦(いせごよみ)
    • 1632年より発行され江戸時代には全国各地に配布された。
    • この暦には吉凶凡例、日ごとの節季農事に関する記述があり生活暦(せいかつれき)として重宝され、伊勢詣の土産にもなっていた。配布数も増加し享保年間(1716-1735)には毎年200万部が出版され、全国で配られた暦の約半数を占めていたともいわれている[7]
  • 江戸暦(えどごよみ)
    • 江戸の人口増大に伴って、17世紀中期から刊行され、1697年には11名からなる仲間組織が結成された。

1871年(明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い、全国の暦師をまとめた頒暦商社が組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶の記載が除かれ、明治末には旧暦の記載も無くなったため、それらを記載した非合法のお化け暦(おばけごよみ)が出回った。

1883年には本暦(官暦)の発行は神宮司庁の管轄となり神宮暦(じんぐうれき)と呼ばれた。

1903年に日めくりカレンダーの製造が始まる。

1946年には暦の専売制が廃され、発行が自由化された。

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